元気になる情報誌 yomiっこ
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編集長のメッセージ 2015年1月号 - yomiっこ
yomiっこ 2015年1月号

健康特集
血の巡りで冷え解消!
茶と米のやさしい滋味
大和のおかいさん
 11月の某日、会社に電話が入った。「伝言板ってまだありますか?」「すみません、 もうないです」「えーっ、地域に密着しててすごくおもしろかったのに。僕、今度イベントの担当になって、ぜひ昔お世話になった伝言板に広告出そうと思って」
 その方はある商店街の方だった。「伝言板」とは、朝廣の父が読売新聞奈良北販売店を辞めた後、かねてから日刊紙を出したいとの自分の夢をかなえて発行していたタブロイド版ぺらの新聞だ。電話をいただいたのは、その父の葬儀の2日後だった。
 自分の好きなところに取材に行き、好きなように記事を書き、校閲もせずに発行して、「また字が間違っているよ」と読者から電話をいただくこともしばしばだった。でも「おもしろいから楽しみ」「おっちゃん、今度はどこへ行くの?」とファンも多かった。言えるのは、父の信条である「みんなを喜ばせたい」とした内容だったことだ。
 父が新聞販売店を奈良で始めたのは50年前。苦労したのは母で、父は好きに生きた人だった。だがここでも「読者を喜ばせたい」という気持ちがいっぱいで、読者の引っ越しにスタッフを手伝いに行かせたり、歌姫町の街灯をつける運動をしたり、小学校に本や絵を寄付したり、皆が喜ぶのを見るのが大好きだった。
 また、自分の故郷である兵庫県浜坂町にトラックを出して早朝から大量のイカを買い付けて戻り、朝市もやっていた。ミニコミ紙は私が嫁いだ時すでに始めていて、嫁いで3か月もたたないうちからすぐに取材に行けと言われ、それが以後の私の人生となるのである。
 嫁ではなく娘として私に接しかわいがってくれ、私も父として接しけんかもした。私が頑張れば誰よりも喜び応援してくれた。だから義父ではなく父である。
 出棺の時、父が育てた読売新聞奨学生たちが、父が作詞作曲した『奈良北の歌』を歌って送り出してくれた。育てた奨学生約50人。金銭的なものは何一つ残さなかった父だが、父と携わった人たちが大勢いて、それぞれが父との思い出を大切に持っていた。お父さん、すばらしい人生だったね。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
 
 
makican
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